今日の戯言

げげっ、昨日のコラムがJ-KETとサポティスタ、同時に晒されてるよ・・・(笑)
なんか巷では韓国戦に対する平田発言に対する強い反発が起こっているようですが、ちょうどタイミングを合わせるかのようにサッカー批評インタビューで協会に関する話題が出ていますね。半田編集長はカピタンの「オープンでスピーディーな組織を作るリーダーシップ」を評価していますが、それを額面どおり受け取るのはどうでしょうね。
ジーコの代表監督選出にしても、結局それが失敗だった時に誰がそれを評価して改めるのかという事が問題なのであって、いくらカピタンが民主的になろうと呼びかけたところで、毛沢東の「百家争鳴>反右派闘争」の二の舞を皆が恐れるのは当たり前ですよね。だいたい世界の舞台で戦う代表監督の選出と評価という仕事は、カピタン程度の実績と経験では器が足らなすぎて「大躍進運動」に等しいわけで、いかに人間己を知って分をわきまえる事が大切かという事ですね。
ところで早速昨日のコラムに反応が。「おとうさん」より。

山本本といわれるあの暴露本の出版経緯や内容ときのうの試合を見て感じることは、山本さんというのは今のところ「人の良いだけが取り柄」のサッカー指導者なんだな、ということです。
もう少しパースペクティブにものごとを見ることのできる人物だったら、あんな時期にあんな内容の暴露本なんぞは出さないでしょう。ああいう形でトルシエを批判したならば、指導者としてそれ以上の結果を出すことを客観的に求められてしまいまうのに彼はそのこと自体にも気づいてさえいないんですよね。トルシエ教本は実は数ページしかない代物だということを看破したほどの眼力の持ち主であるにもかかわらず・・・あっ皮肉です。
ガゼッタさんが指摘しているようにトルシエのチーム強化法の「良いとこどり」をしたつもりで、実はコアの部分を全部放棄してしまった。
まあ「仏作って魂入れず」をはじめとして「換骨奪胎」「論語読みの論語知らず」こうした日本語があるという事は、古来より、こうした過ちが数多く繰り返されてきたことの証でもあるんでしょうけど。
そして唯一の取り柄であるはずの「人の良さ」も、韓国紙からも「恐がってくれてありがとう」的報道をされてしまう脇の甘さに通じているわけで、よく考えてみれば指導者としての優れた資質を彼に見いだすことは難しいということなんですね。
協会も「ジーコジャパン」が、似たようなリザルトしか挙げてない以上ドラスティックな手を打つことも出来ないし。
カピタンひとりのおかげで日本サッカー界とガンバ大阪は袋小路に入りっぱなしですね。(笑ってる場合じゃないけど・・・笑)
結局、山本さんが毒だと思っていたトルシエの人事管理術が、実は「薬効」がある「良薬」で、「選手を日本サッカー界の宝」として遇するという彼の人事管理術は「甘い」だけの「糖尿病のもと」だったてことなんでしょう。
「良薬は口に苦し」(笑)

あんまり人の人格をとやかく言いたくは無いのですが、あの本と今までの仕事を考えると、どうも「トルシエより良い仕事をして日本の成果はトルシエのおかげだけじゃなかった事を証明してやる」といった負のエネルギーが強すぎるような気がしますよね。奮起の材料として反発心を煽るのはトルシエの得意技ですが、コーチまで余計に煽っちゃったって感じでしょうか(笑)。それもまた、人間としての器の問題ですよね。
「良薬」については同意ですね。カピタン様やマスコミ様のキャンペーンのおかげでトルシエはフラット3キ○○イというイメージが浸透しきってますが、岡ちゃんや岡野元会長とかは戦術に関しては特に何も言ってなくて、「闘えない選手を闘えるようにした」事を最も評価してるんですよね。もちろん戦術がダメで良いわけはないんでしょうが、「型にはめて自由を奪った」とか主張している誰かさんとは違って、本当に重要なのは何かを分かっていたんだと思いますね。
戦術面については「がぜったらぶ」さん(笑)からご意見が。

コラムで、ヒディンクとオシムの話が出ていましたが、ヒディンクは、韓国では、「やみくもに走るな、走りすぎだ、自分のポジションをちゃんと守れ」と指示していたそうです。韓国の選手は、無駄な動き、ポジションを無視した無駄走りが多すぎたからだとか。
オシムは、「走って走って走るんだ」と指示しましたが、それは市原の選手が逆に、動かなすぎ、ポジションを無視した動きのなさを見て、そう指示したとか。
オシムが市原と違って、以前の韓国のようにやみくもに走りすぎ、自分のポジションを無視したプレーが多いチームの監督になった場合は、逆に「やみくもに走るな」と指示するかも知れません。ヒディンクが、以前の市原のように適切な動きの乏しいチームの監督になった時は、「もっと走るんだ」と指示するのかも知れません。オシムもヒディンクも監督になったチームの足りないところを、修正するために、「やみくもに走るな」「もっと走るんだ」と指示しているだけのように思うのですが、いかがお考えになりますか。

ヒディンクがオランダらしく比較的ポジションを守ってのサイド攻撃指向で、オシムがボールホルダーを中盤が追い越すオーバーラップ指向という違いはあるでしょうが、基本は適切に走る、つまり真のモビリティを重視している点で同じだと思いますね。しかし、「ポジションを守らずに好き勝手に走る会長」とか「いっちょ前に走ってるつもりだがまるで実効性の無いGS」、「さっぱり動かなくて他人まかせのA代表監督」とかを見るにつけ、モビリティはサッカーだけに言える事じゃないのを痛感しますよね(笑)。

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