サイトアイコン 旧閑ガゼッタ

「またも活かされなかった、中田英寿”鬼パス”の教訓」ACLベスト16第2レグ FCソウル-浦和レッズ

今期のアジア・チャンピオンズリーグは、Jリーグからは2チームが決勝トーナメントに勝ち残ったが、ともに第2レグを落としてしまって敗退が決定、ベスト16で全て消えてしまう結果に終わってしまった。

終始押されっぱなしで終盤まで点が入らなかったのが奇跡的だったFC東京に比べると、浦和の場合は2点を先行されながらも李の2ゴールで一度は逆転し、ロスタイムにコースが甘かったミドルを西川が弾き損ね、PK戦も5人目のキッカー西川が決めれば勝利だったのにフェイントもかけず真ん中へフンワリ蹴ってしまって失敗するなど、2度あった勝利のチャンスを自ら放棄してしまったのが本当に悔やまれる。

FC東京も同じようにロスタイムに得点を奪われてしまったのだが、だいたい日本人の場合はドーハの悲劇から始まってジーコジャパンのオーストラリア戦、ザックジャパンのコートジボワール戦と、守りを固めても守り切れないのは伝統の域ですらあるわけで、またも同じ過ちを繰り返してしまうのは本当に残念で仕方がない。

日本は守備の文化が無いと言われているが、単純にフィジカルや高さ、リーチで負けてしまうという点と、押し込まれてパニックになるとゾーンやラインなど戦術の事が頭から抜け落ちてボールウォッチャーになってしまう、1対1で守り切るスキルや執念が若年層の育成からすっぽり抜け落ちている理由があるわけで、たまたま守り切れる時もあるかもしれないが、平均するとギリシャやパラグアイなどとは確率が大きな差になるのは明白である。

この試合でも遠藤のバックパスミスから失点したように、失点の危険があっても執拗に自陣でのビルドアップを決行させるミシャが、相手がパワープレイになるとあっさりポリシーを放棄して、ズラタンをDFにして前に蹴り飛ばすだけのサッカーになってしまうのが不思議でしょうがない。逆に相手が放り込んだ時こそ、スペースが空く中盤でパスを回して時間とスペースの余裕を作る事がミシャサッカーの本来やるべき方向性なのではないか。

とまあ、守備についてつらつら恨み言を並べてみたが、本当の問題は90分で1点しか取れなかった攻撃にある。この試合の浦和は、せっかくソウルに対して中盤支配で上回り、バイタルで何度も良い形で縦パスを受けながら、結局そこから攻撃がスローダウンしてしまってクロスがことごとく相手に引っかかって得点にならなかった。李が得点した2つのシーンでは、ちゃんとスピードに乗った攻めでシュートまで持って行ったのだから、何故それが最初から出来なかったのだろうか。

その大きな要因は、やはりパススピード。特にソウルの場合は、浦和がサイドチェンジから攻撃の基点を作ることを警戒して、ワイドに張る関根と宇賀神、後半は梅崎と駒井に素早くマークを付けて来た。ここで彼らがドリブルでマークを突破できれば良いのだが、当然そんなスピードはないので結局パスを返すか無理なドリブルやクロスが引っかかるオチになってしまう。それを回避するには、もっと速いパスをサイドに送って、相手のマークが来る前に先手を取る必要があったのだ。

現在行われているトゥーロンでのポルトガル戦で相手が決めた得点も、物凄いスピードの縦パスをダイレクトで落とした形からのシュートであり、日本は全くそれに予測も反応も出来なかった。世界レベルでは、「受け手に優しいパス」なんてのはせいぜいラストパスに求められるぐらいで、ほとんどシュートのような鬼パスを普通にトラップして繋げて行かないと相手にならないのである。逆にU-23日本は、速いパスで展開できないため相手のマークを剥がせず、南野のスピードが全く活きてこない。

もう15年も前に、中田英寿が出すサイドへの”鬼パス”が良く話題になっていたが、どちらかと言うとそれが正しいというよりチームメイトに対するいじめ的に揶揄されていたような記憶がある。当時の中田が悪者扱いされるのを承知のうえで出していた鬼パスの教訓を、日本は未だに引きずったままなんだなあと痛感してしまうのである。

モバイルバージョンを終了