昨日は激戦となったバイエルン対ユベントスの試合を見ようかと思ったんだけど、いろいろ忙しくて試合を見る時間が遅くなったので、90分で終わってくれるバルサ対アーセナルの試合を見ることにした。
アーセナルホームでの第1レグを2-0で勝利したバルセロナは、ホームで迎えた第2レグでもMSN揃い踏みゴールで3-1と圧勝、絶望的なまでの力の差を見せつける事になってしまった。
シュート数を見ればアーセナルの20本に対し、バルサは17本と数字的には少なかったのだが、バルサが前半18分にネイマールのゴールで先制した後はペースを落とし、エルネニーのゴラッソで同点に追いつかれてからよっこらしょとアクセルを踏み込んで2点を奪った感じで、終始バルサに余力があった試合だったのは確かである。
それにしても、この試合を見て痛感する事は、サッカーにおける「自由と創造性」という言葉についての残酷さである。
バルサとアーセナルで、どちらが自由で創造性のあるサッカーをやっているかと言うと、おそらく世間の9割の人がバルサというイメージを持っているのだろうが、現実は全くの逆なのだ。
アーセナルはDFの4人は基本的にラインの形を作っているが、中盤から前の選手については守備時のポジションがバラバラで、個人の対応力の集合で守っている感じである。それは攻撃でも同じで、アーセナルはどんどんと選手がボールを追い越してパスコースを作る華麗な攻撃が売りなのだが、選手間のアイデアやコンビネーションが頼りなので、あまりこれといった決まった形がなく、時折タイミングが合わずにギクシャクする。
対してバルサの方は、4-3-3の後ろ7人は全てゾーン・ディフェンスできっちり守りながら、MSNに対して水を運ぶ役として黒子に徹している。確かにMSNには高度な自由と創造性はあるのだが、それは彼ら3人の間でのみ完結されるのでアーセナルよりも自由の範囲が狭く、それゆえにコンビネーションの精度が段違いに高くなるわけだ。
とは言え、MSNの異常な技術と決定力が無ければ、似たようなサッカーでも単なる点が取れないカウンターチームになってしまうのは事実で、選手のクォリティがいかなるお題目も無力化するという現実も、またバルサに突きつけられてしまうのだ。
ジーコジャパンから日本サッカーにとって錦の御旗となっている感がある「自由と創造性」というお題目だが、協会関係者の方々にはこの試合を見ていただいて、真に日本にとって必要なものは何かという点について、きっちり肝に銘じてもらいたいところである。