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過度な自主性重視の姿勢が、日本サッカーを滅ぼす

まあ東スポだからほぼネタなんだろうけど、昨日のTwitterではつい以下の記事に反応してしまいました。

武田修宏氏「真剣にハリルの進退を考えるべき3つの理由」 (東スポWeb)

まあ武田氏に進退を問われるようになるとは、随分日本代表監督も軽い存在になったもんだなあと感心しますが(笑)、巷のマスコミやサッカー評論家の意見を見ていても、「細かな指示で選手を縛りつけた。それに監督がナーバス過ぎることも問題じゃない? 選手にも緊張感が伝わって、ピッチでバタバタだったよ。」という部分と良く似た言説を書いている人が多いのには驚かされます。

ここで何度も書いている事ですが、今の欧州クラブサッカーでは、グアルディオラやモウリーニョのように徹底的に戦術をディテールまで突き詰める監督が結果を出しており、ブラジルの監督に多い、選手を選んでフォーメーションを決め、あとは比較的自由にやらせるセレクタ型の監督は、トップクラスでは極めて少数派になっています。

前のエントリーでも紹介した、オッド対ドルトムントで香川がクロスのアシストを決めたシーンですが、よく見ると香川のクロスに対してはファーサイドに何と3人が飛び込んでおり、これがもし選手の自主性によるものだったら単なるバカです(笑)。それだけ、トゥヘル監督が攻撃のパターン化を突き詰めている証拠なんですよね。

今はバルサやグアルディオラのチームでさえ効率性を求めてカウンターチーム化していますし、攻撃の美しさでは世界で1、2を争うアーセナルがずっとプレミアで優勝できないのは、ベンゲルの指導が攻撃に関しては選手の自主性を重んじている事と無関係ではないと思っています。

そういう欧州の常識からすると、日本のサッカーはまだまだ組織でも個人でも戦術というものに対する意識が低く、監督が細かな指示を出して神経質になるのは当たり前です。特にゾーン・ディフェンスの場合は数mのポジショニング、ラインの乱れが守備の崩壊に繋がるわけで、そこに自主性なんてものが入る余地などありません。

2002年のベルギー戦で日本が2失点したのは、トルシエのフラット3という戦術に欠陥があるからだと今でも広く信じられていますが、私の意見は全く逆で、選手が戦術を正しく遂行できなかったからだと思っています。1失点目のヴィルモッツのオーバーヘッドは、市川がラインを上げる事に遅れたからであり、2失点目も相手の飛び出しに対してはボランチが見てマークするべき案件で、どちらも戦術ではなくて選手のミスです。

ザックはずっと選手に対してゾーン・ディフェンスを教え込もうと努力していましたが、コンフェデの結果で自信を持った本田が東欧遠征でザックに直談判し、自由なポジショニングのショートパスサッカーへと180度方針を転換させたことは有名です。その結果については今更述べる必要もないでしょう。

しかし何故か、いまだに日本人は戦術が選手の自主性を縛り、日本の良さをスポイルしているという信仰から逃れられないんですよねえ・・・川淵氏みたいなゆとり教育世代でも無い人が平気で語ってますし、本当に不思議です。しかも監督の指示に従わない事すら時折美談になったりしますが、野球で監督のサインを無視する選手などまずあり得ませんし、軍隊なら即部隊壊滅につながりますよ。何でサッカーだけが、それを許されているのか本当に不思議です。

まあ、その点については「日本サッカーの日本化」なんて言い出したオシム氏もちょっと悪かったと思っていますがね・・・彼自身は、ジェフの選手を当初は多く使って練習をパターン化し、徹底的に速く攻めるサッカーを志向していましたし、守備はオーソドックスなマンマークがベースで、1トップには巻のような長身選手を好んで使っていました。強化としては極めて段階を踏んだコンベンショナルな方法で、どこにも日本らしさはありません。

おそらく、オシムの意図としては、日本が普通に正しいサッカーをやっていれば、それは勝手に日本独自のサッカーになるわけで、あえて真似をしたり、逆に独自のスタイルにこだわる事ではないと言うことなんだと思っています。しかし現実の日本はずっとそれを曲解したまま・・・いい加減、くだらない自由、自主性信仰は捨て去るべきではないでしょうか。

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