「大木サッカー≒バルサなのか?」天皇杯準々決勝 京都サンガ-湘南ベルマーレ

京都対湘南というJ2同士の対戦となった準々決勝は、京都がセットプレイの流れからドゥトラがオーバーヘッド気味に決めたゴールでベスト4へと勝ち進んだ。
試合の流れとしては、大木流ショートパス戦術を駆使してボールポゼッションする京都と、3バックで守備を固めてカウンター狙いの湘南という形で90分間が過ぎていったのだが、どちらも攻撃の形はちゃんと出来ていてそれなりに決定機の数は多かったのだけど、そこはJ2の悲しさと言うべきか、決定力不足のアピール合戦といった様相でもあった。
その中で京都の勝因を強いて挙げれば、やはり前線のドゥトラのところでボールがきっちり収まる事が大きく、ドイツ入り以前の岡田ジャパンのように、ボールの収まりどころがないのに無闇矢鱈に密集ショートパスサッカーをやっても、結局ミスからオープンスペースを攻められてしまう事になるわけで、京都にももちろんそういう危ない場面はあったのだが、岡田ジャパンほどの破綻状態にはなっていなかった。
しかし今回、大木サッカーを改めて眺めてみると、一見すると日本的に奇形化したサッカーのように思えてしまうのだが、方法論的には極めてバルサのサッカーに似ているなと思ってしまった。
前線と中盤を極めてコンパクトにしてその間をショートパスでつなぐ、相手にボールが渡るとポジション関係なく前からプレスをかけてボールを奪い返すというコンセプトはバルサとほぼ同じである。
ただバルサと違うのは、緩急があんまり無いのとバイタルでなかなか前を向けないので崩す形が少ない事と、マイボール状態でのミスが比較にならないぐらいに多いので、奪われる回数だけ守備を破られる機会が多いために、全体としては似て非なるものになっているだけという気がするのだ。
今はほとんどのサッカー人が、バルサのサッカーを自分たちとは無縁の次元が異なるものだと諦めてしまっている現在、大木さんの変わらぬ姿勢は非常に貴重なチャレンジなのではないだろうか。
ともあれ、これで準決勝は京都とFマリノスのカードになった。来期はJ1昇格を目指す京都にとって、堅い守備を誇る横浜との対戦は、大木サッカーが高いレベルでも通用するかどうかの試金石でもある。是非とも守りになんか入らずにコンセプトを完遂してガンガン攻めてもらいたいものである。