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日本サッカーのオランダ化と日本サッカーの日本化

昨日は録画しておいた、天皇杯5回戦の名古屋対ホンダの試合を見たのですが、世界大会とリーグ戦後で契約更改の時期と重なった大会の差があるとは言え、FCWCでの浦和の試合を見た後だとガックリ感はひとしおですよね(苦笑)。
失点場面を良く見ると、1点目はホンダに中盤でボールを奪われても逆サイドにいた中村直が高い位置でボサッと立ったまま、ボランチの位置にいた藤田がマークを簡単に外してしまって鈴木がどフリーになって失点、2点目も中村直がタラタラとジョギングで中央をアリバイマークに行ったためにサイドががら空きになってしまい、スペースへと飛び出したホンダの選手のクロスから失点と、集中力も運動量も何も無いプレイぶりでした。
名古屋のワイドなオランダパスサッカーは、選手個々のレベルが高くなければ機能しないスタイルだという事はここでも何度か書いている事なのですが、いくらJFLのホンダが相手とは言え、ボールを蹴る技術以外に全てが劣った内容ではさらに勝てるはずも無いですよね。
今までの日本には無かったスタイルのサッカーで挑戦しようとしたセフの意欲は買いますが、結局選手個々を求められるレベルにまで高められなかったという意味では、残念ながら名古屋の監督選びはミスマッチだったのかなと思います。
そしてミスマッチと言えばつい愚痴ってしまうのが岡ちゃんの起用。
最近あちこちのブログを見ていると、有名どころであっても「日本サッカーの日本化を進めるためには日本人監督でいいんじゃないか」という論調が平気でまかり通っているのには驚かされます。
これも私がここでくどくどと書いている持論ですが、監督の仕事とは、まず第一に客観的な視点と戦略的な計画性が必要だと思っています。
オシムは「日本サッカーの日本化」という抽象的な言葉を出しはしましたが、それはあくまで単なるレトリックであって、裏では冷徹に日本選手の世界に対する能力の把握と、それをカバーするようなメソッドの再構築を常に行っていたはずで、夜中にプレミアリーグの試合を見ていたからと言って、「サッカー好きなんだな、おじいちゃん」という話では無いんですよ。
ジーコ時代にセリエやプレミアで日本人がどれくらい苦労しているのかも知らずに、客観的な視点がすっぱりと抜け落ちた「自由なサッカーで世界に勝てる」などという美辞麗句に日本中が踊りまくったのと同じ轍を、今度は「日本サッカーの日本化」というフレーズで踏んでしまうのでしょうか。
岡ちゃんは日本人にしては比較的客観的な視点を持っているほうだとは思いますが、メソッドについてはまだ何も見せてもらってませんからね。とりあえず今のところは否定的な立場とさせてもらいます。

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