中田への戯言

これまた全く持ってアグリーですよ。
おそらく今は日本全国で「残念、ヒデお疲れさま」という声が満ちているのでしょうが、そのセリフは昨日書いてしまったので(笑)、あまのじゃくを身上とする私としては、今日はあえてちょっと小言を書いてみようかなと。
サッカーが好きじゃないと言いながら、おそらく日本の誰よりも練習を重ね、サブであってもモチベーションとコンディションを落とさず、ドイツでもチームがバラバラの中で戦う姿勢を出し切った中田のプロフェッショナリズムは本当に偉大というしかなく、ただただ感服するしかありません。
それだけに、自分のサッカー人生の集大成であったドイツW杯での内容と結果に失望、疲労を感じるのも無理はありませんし、監督が完全放置な上に宮本は中間管理職の仕事で一杯一杯で、2002年のゴン中山や秋田のような中田を理解できるベテランもいない中、中田はそれなりに自分の出来る事を精一杯やったのだと思います。以前に、中田がジーコやカピタンと対決して欲しかったと書きましたが、それは無いものねだりを承知で書いただけで、いち選手としてその場で出来る事は限られていたのも確かでしょう。
でも、その気持ちの区切りを、「(メールを見て)俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。」でごまかしてしまうのはちょっと違うんじゃないかなと。
サッカーというものは言うまでも無くチームスポーツです。だから、中田が伝えるべきなのはまずチームの中であって、サッカーの観客、その中でも中田に対して特別な気持ちを持っているであろう、nakata.netにメールを送ってくる人たちに対してではありません。ジーコジャパンを見ても分かるとおり、チームの中に対してファンが出来る事なんてのは、ほとんど無いと言っても過言じゃないのですから。
もし自分の考えが伝わる事こそが日本サッカーのために大事だと考え、それがジーコの下では伝えられなかったのであれば、たとえオシムジャパンでなくても湘南や甲府の若い選手たちでもいいから、選手にしっかりと伝えてから辞めて欲しかった。だいたい湯浅氏が書いているように、オシムは中田の最大の理解者になり得ただろうし、必ず中田が生きるサッカーをやるはずですし、何より名将と出会うことでサッカーに限らず中田の人生に大きなプラスをもたらしたはずです。
といろいろ書いても所詮本人の事は本人にしか分からないわけで、半年前から熟慮して決めた決断なのだから、中田の意思は尊重したいとは思いますが、中田のサッカー観は最後まで一人称だったんだなあという残念な気持ちは消えません。
もっとも、中田をそこまでの孤独に陥らせたのは、日本サッカーが抱える問題が大きかったのは確かでしょう。もし中田がイタリアで生まれていたら、ここまでスターに祭り上げられてマスコミに追いかけられることも無く、取り巻きや公式サイトで自分を防御する必要も無く、いちチェントロカンピスタとして飯を食うように相手を削っていたはずですからね。
中田のような才能をサッカーだけに集中させるような環境を作るには、マスコミや我々のようなファンにも、ある意味プロフェッショナリズムのようなものが求められているのだと思いますね。きっとそんな日は当分来ないんでしょうけど・・・