今日の悲報

突然自転車の話ですいません。笠倉トレオさんからメールが届いてびっくりしたのですが、イタリア自転車界の英雄マルコ・パンターニが死亡したそうで、ダブルツールを達成した全盛期の走りを知っているだけに非常にショックです。そのあまりに大きすぎる名声と期待ゆえに、晩年の選手生活ではドーピングやアルコール依存症などのスキャンダルに犯されてしまっていたようです。ある意味、彼はスターシステムの本当の犠牲者となってしまったと言えるわけで、心からの冥福を祈ると同時に、薬物とスターシステムというスポーツ界を蝕む二大悪を決して許してはいけないと心に刻みたいと思います。
ところでアフリカネーションズカップですが、開催国だったとは言えチュニジアが優勝したんですね!おりたさんも書いてますが、今のチュニジアは日本と対戦した時のチームとは別物になっていますよね・・・予定では日本も今ごろそうなってるはずだったんだけどなあ(涙)。某所の情報によると、カピタンは「まだ先日の怒りが治まらない」なんて言ってたみたいですが、サポーターの怒りを代弁するふりをして責任の所在をあいまいにしようという思惑が見え透いていてげんなりしますよね。これから風呂に入るときは、首のあたりをしっかり洗っておいてもらいたいですね(糞)。
それにしても、昨日からマチャラ監督奏でる三味線の音がうるさいですね(笑)。でもオマーン側に立って考えてみますと、うちの監督は即席チームで戦おうとしているぐらいで、相手を研究して策を施すなんて器用な事は出来ないんですから、韓国戦で下手に小細工せずにチームの完成度を上げる方が得策だと思うんですけどねえ。さて、結果はどうなりますことやら。
カフィさんよりメールをいただきましたが、長いので失礼ながら一部抜粋。

さて、肝心のズィコ監督の方ですけど、活字媒体、テレビ色々見てると、様々な人、スポーツライター皆意見はいうが、最後はこれに尽きるんではないでしょうか。ズィコはわからない・・・・・。
スポーツ新聞を始めとするスポーツ報道における、「監督」の存在はかなり重要なパートを占めているとおもいます。野球しかり、マラソンしかり・・・・・。一面の見出しにもチーム名より監督の名前がさきにくる。oo日本、oo巨人。これは学校体育の名残から来るのか、分かりませんが「監督」=「教育者」の意味がこと報道に関して多い気がします。勿論、監督には必要な面で、弱い未熟なチームを強くするには、このタイプの監督が合うかもしれない。
でも、これは数あるタイプの監督の一つに過ぎないし、それが全てではない。監督は責任を選手より多く負っているのは確かだし、試合に対して、監督の采配が及ぼす影響はかなり高い。が、監督は全知全能でないし、実際に試合をするのは選手である。ことサッカーは野球のように時間が止まらないし、テレビゲームのように人は動かないし、状況によって各々が瞬時の判断を求められる。監督の出来ることは限られる。監督か一個人の選手か?どちらかに振り切れる報道のやりかたに慣れたメディアは、実はサッカーを苦手としているのではと、勘繰ったりしてます。そこに自由と自主性を唱える「なにもしないズィコさん」がやってきた。実際困ってると思いますよ。代表に付いている記者さん。
なにかやってよ、鉄拳制裁でも・・・・・。あの「number」さんまで、「代表揉め事待望論」なんてお茶らけた記事、何度もやっているくらいだから。あのズィコだからという就任当初の期待があまりにも高かった反動もあるんでしょうね。なにか考えているはず。でも「ズィコ監督は何考えているか分からない」ですよね。そこら辺、確かに不安です。これから二年間必ずナニカあります。
しかし、僕は今ズィコ監督にはこういいたい。「もっとマスコミ(特にスポーツ新聞)を困らせてやれ。」これも、かれの意図したことではないけれど。ナニガ飛び出すか分からない鵺のようなチームもいいかな。と思ってます。

おそらくジーコ自身、自分でも何をすればいいのか良く分かってないんじゃないかと個人的には邪推してるんですけどね。ブラジル代表レベルだと、ほっといても互いに競争意識があって、すぐにポジションに応じたプレイが出来、たとえ自律出来ない選手がいたとしても新しい選手が代わりに沸いて出てくるわけで、監督の仕事としては、自我と個性の強い集団を一つにして、選手を気持ちよくプレイさせる事が重要なんですよね。ところが日本でそれをやるとただの烏合の衆になってしまうわけで。
・・・とこう書いてつくづく思うのは、ジーコは鹿島を強くする過程で具体的にいったい何をやったのかという事なんですよね。今のような仕事振りでなぜうまくいったのか本当に不思議です。まさか、その時の事をすっかり忘れていてブラジル時代しか覚えてないとか(笑)。