サイトアイコン 旧閑ガゼッタ

日本人監督の可能性

カピタンは2010年に日本人監督で行くと公言してしまったが、個人的にはまだ時期尚早だと思っている。理由と言うか、代表監督の理想的条件と思っている事は以下の通りである。

1.「渉外能力」

いわゆるコネである。つまり、外国の協会やクラブに対して顔が利き、親善試合やテクニカルスタッフの技術交流などのパイプが作れる事。特に欧州のような階級社会ではいわゆる「サッカー上級社会サロン」に属している事が重要であると思う。トルシエは本国フランスには顔は利いたが、サロンの一員としてはまだ弱かった。ベストなのはビッグクラブでの選手・監督実績があったり、世界が認めるスーパースターである事だろう。
これについては、GMを置く事でで補完する事が可能ではあるが、最も適任な人物を監督にしちゃったしなあ(笑)。

2.「選手としての実績」

いくら名選手名監督にあらずとは言え、プロ化以前の日本での選手経験とW杯に出場した選手経験ではあまりにも違いすぎる。監督経験である程度カバーできる項目だろうが、大舞台での選手の心理や調整方法を体で分かっているのと頭で理解している事の差は大きい。
逆に言えば、同じメンタルを持つ日本人監督であれば、ここがクリア出来ているだけで外国人監督に対するアドバンテージとなり得る点である。

3.「世界とのものさし」

個人的にはここが一番重要だと思っている。極東のドメスティックなリーグ出身の選手と、時差を伴ったものがほとんどになるテストマッチという乏しい材料で、どこまで「世界との差と、その修正方法」を正確に把握し、提示する事が出来るのか。
トルシエはこの点では比較的確かであったが、それでもサンドニで間違いを犯した。ましてや「元代表選手」の解説者の一貫しない言説を見ていると、今の日本人指導者には期待するだけムダではないかと絶望しさえする。

4.「戦術的柔軟性」

仮にも監督ならば戦術論があるのは当たり前なので、ここは一歩踏み込んで柔軟性とする。
前にも書いたように、メディアが守備的だと批判の大合唱をしたスペイン戦は、私にとって最もトルシエを評価できた試合であった。それは、アジアカップまでのサイドに攻撃的な選手を置いたポゼッション指向のサッカーから、サイドを守備的にしたカウンター指向のサッカーへと、基本的なシステムを変えずにスタイルを変更できた試合だったからである。
アジア予選とW杯本大会と言う2つのレベルを戦わなければならない日本にとって、こういう戦術的柔軟性の引出しが監督にあるかどうかは重要な事である。どっかのピンク色のチームのように大勝か玉砕かでは話にならない。

5.「監督としての経験」

いみじくも岡ちゃんがクレイジーだと表現したように、本番はもちろん、98年のカズ外し騒動や2002年の中村騒動を見ても、W杯が近づいて来た時の周囲の騒ぎようや精神的重圧は凄まじいものがある。代表監督はその重圧を一身に背負ったまま冷静な判断をしなければならないわけで、やはり同じ大舞台での経験は欲しいところだ。できればW杯やCLの決勝トーナメント経験。五輪ではまだ弱い。

6.「精神的マネージメント能力」

カピタンは人格が好きらしいが、人格がいくら良くても選手を奮い立たせなければ勝てない。理想を言えば、厳しく威厳のある父親であるが、選手の小さな変化も見逃さない母親でもあり、時には有能なアジテーターにもなれると言う感じだろうか。そんな人物がいるかどうかは知らないが。
あれ、采配は?と言われるだろうが、3以下の全ての要素が備わっていればほっといても出来る事であるので割愛。