何故、岡田ジャパンはおかしなコンセプトを持つに至ったのか。

1つ前のエントリーで、岡田ジャパンのコンセプトの不思議さについて、つい勢いでいろいろ羅列してしまったが、そもそも何故そんな妙なコンセプトに至ったのか、という部分について少し考察してみる。
おそらく、最も大きな問題点は、岡田監督自身のサッカー観の古さにあるのではとないかと思っている。
岡ちゃんの推し進めている、高い位置からプレスをかけ、攻撃時には選手が流動的にポジションを取り、数的優位を作ってパスで崩すというサッカーは、かつてアーセナルが一世を風靡したやり方がベースの考え方なのだろうが、もはやそのスタイルは時代遅れになりつつあると言って良い。
今のサッカーは、全ての選手が規律と献身でポジションバランスを崩さず、コンパクトなゾーンを維持しながら好守の切り替えを図り、メッシやロナウド、ロッベン、スナイデルといった一握りのクラッキや、ドログバやルーニーのようなフィジカルモンスターが、狭いゾーンでの1対1を制して瞬間的に数的優位を作り出し、相手の守備バランスを崩して点につなげるサッカーなのである。
Jリーグの審判でもそうだが、いまだ世界から遅れた位置にある日本のサッカー界にとって、本当に必要なのは常にトップレベルのサッカー、つまり欧州CLなどのサッカーを穴が空くまで研究し、現在そこで何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、そしてJリーグと比べて何が違って、追いつくためには何が必要なのかというアンテナを常に張り続ける事に他ならない。
いくら、岡ちゃんが「接近、展開、連続」という日本独自の奇襲戦法を編み出しても、最初のジャンケンには勝てるかもしれないが、サッカーと言うスポーツは90分間、1秒に1回、合計5400回のあっち向いてホイの勝ち負けで決まるようなものなので、結局は戦術、規律、スタミナ、経験、判断力、応用力、個人力といった総合的な戦いにならざるを得ず、「こうすれば絶対に勝てる秘策」なんてものは無いに等しいんだよね。
岡ちゃんがFマリノスの監督を辞任してから、リッピやアンチェロッティといった名監督と対談している記事を何度か見かけ、その中だったかと思うが「今のサッカーには新しい戦術や考え方が無いと思ってサッカー界からは離れた」という意図の発言があって物凄く驚いた事があった。
とっくに引退してもおかしくない年齢なのに極東の僻地で監督業を続け、激務の代表監督になっても毎日毎晩欧州のサッカーを見続けていたオシムとは、随分サッカーに対する情熱や考え方が違うなと思ったし、私も、オシムの1/100も試合は見てないけど、一応は欧州とJの両方をあまり偏りなく見ていると思っている人間なので、自分なら新しい事が何も無いとは口が裂けても言えないよなあと思っていたのだけど、まさかそのお人が、オシムサッカーの継承を掲げて後任になるとは思わなかった(笑)。
黄金世代から経験の浅い北京世代への交代を進めながら、なおかつ世界で戦えるチームにするという、百戦錬磨のオシムでさえ長い時間をかけて取り組まざるを得なかった仕事を、俺ならもっと出来ると思い込んでホイホイとオファーを受けてしまった過信、傲慢、見込みの甘さについて、今頃岡田監督はどんな思いで噛み締めているのだろうか。

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