北京五輪で金メダルのアルゼンチン、そして柔道

昨日はようやく北京五輪男子サッカー決勝戦、ナイジェリア対アルゼンチンの試合を見ることが出来ました。
勝ったアルゼンチンは、ビエルサ時代の戦術が徹底された流動性や連係というものはあまり感じられませんでしたが、一人一人の判断力、キープ力はまるで中田旅が10人いるようで、しかもボールを受けたらすぐに反転してスピードアップという、反町ジャパンには欠片も無かった仕事の出来る選手が、メッシにアグエロ、ディマリアと3人もいるのだから強いのは当たり前ですよね。
日本も一応森本というそういうプレイが出来るはずの選手がいたのですが、1トップで孤立していたのもあったのでしょうが、何故か反町ジャパンでは最後までそういう機会は作れませんでしたねえ・・・
もちろんナイジェリアも圧倒的な身体能力と、予測しにくいタイミングと角度で矢のように放たれるシュートで、特に1点を取られてからはアルゼンチンゴールを脅かす猛攻を見せはしたのですが、アルゼンチン選手のU-23とは思えない老獪さで相手のリズムを切るボールキープを見せ、ナイジェリアを最後まで調子には乗らせませんでした。
日本にメッシがいれば、とはよく言われる願望ですが、確かにメッシだけで何人力という存在にはなり得ますが、まずその他の選手がしっかりした判断力とテクニック、スキルを持つ必要性があるのだという事を痛感させられました。
さて、昨日書いたエントリーに対してZERO様から大変丁寧な長文をいただきました。

>>男子柔道の不振
>>戦略の欠如
>>一本を取ることにこだわる
これはちょっと違います。
そもそも近年の日本の男子柔道は強くありません。柔道という競技は、かつてシドニー金メダリストの滝本選手が仰っていたように、普段全く報道されないのに、五輪になると、急に日本発祥だからという理由で金メダルを期待されるから、期待と結果のギャップが発生し、それを不振だのなんだのと言われてしまうのだ、という悲しい性を抱えていることをまずご理解ください。。
ご存じないかもしれませんが、昨年のリオの世界選手権で日本男子は五輪実施階級で優勝者がゼロでした。この中で、上向くのを期待するのと言うのが間違いです。実は、忘れられていますが、同様の傾向は既に7年前、シドニー翌年のミュンヘンの世界選手権では五輪実施階級での優勝者は井上康生ただ一人でした。
もう古い話になりますが、かつてスキージャンプが隆盛を極めたとき、その翌年の世界選手権(ただし主要種目のラージヒルではなくノーマルヒル)で表彰台を独占し、その結果これまでの強化方針は間違いでないと誤解した結果(当時のヘッドコーチ自ら認めた)、日本は長期低迷へと進んでしまいました。
事態はジャンプと同様です。問題点は既に7年前に分かっていながら、大阪で盛り返し、アテネで野村、内柴、鈴木桂治が優勝してしまったため、そのままの強化方針で進んでしまったのです。
アテネで優勝したと言っても、野村は連覇を狙うベテランですし、鈴木桂治も大阪で優勝しています。従って、大阪からアテネの一年でぐっと伸びて栄冠をつかんだのは内柴ただ一人という状況でした。従って、前年の世界選手権を踏まえての強化が当たった、4年間である選手を伸ばしたという訳ではなかったのです。(つまりこの時点で強化方針は間違っていただろうし、結果は出たものの選手個人がポテンシャルを発揮しただけ、という可能性が極めて高い)
その証拠に、古賀-吉田時代を終えて暗黒の階級と化した78kg、81kg級ではシドニーからの8年で誰も優勝していません。特に81kg級は深刻でほとんどが初戦敗退か、敗者復活に進んでも、敗者復活最終戦にもいけない状態が続いています。
その結果、やはりアテネ翌年のカイロで成績が落ち込み、前述の通りリオでは過去最悪の成績となってしまいました。
ということで、問題点ははっきりしていたはずですが、アテネの栄光に目がくらみ対応が遅れたというのが私の考えです。戦略の欠如は確かですが、一本を取る柔道がどうのこうのというのは関係ありません。反例として一本を取る柔道を貫いた韓国選手が60kg級で優勝していますし、自分の柔道を核としながらいかに対応するか
ということが問題なのだと思います。実際に女子は実力を発揮しているのですから、少なくとも一本を狙うことと結果の相関はないもの思われます。(男女ともに一本を狙うことに差異はないので)
特に、問題点としてあげられるのは
・組み手
これにつきます。よく出る自分の組み手になれなかったとか、レスリングスタイルが、というのは既に7年前から指摘されていたことです。それに対応すれば勝てたと思います。
ご参考までに、
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080816/1218994547
で紹介されている日経新聞の記事をお読みください。
それから、他の問題点として、柔道は競技人口の減少及びそこから発生する選手層の薄さ、他国の急速なレベルアップ、政治力のなさ故IJFで主導権を発揮できない、ということが挙げられます。
柔道は五輪を見る限り強そうですが、競技人口では既にフランスに抜かれ、練習環境や普及度、人気でも負けています。そのフランスですら今回の男子は優勝者を出すことが出来ませんでした。それぐらい外国選手は力を付けていますし、たとえ前年世界選手権を優勝しても、あっさり敗退するシーンも散見され、そう簡単に優勝を狙える状況はありません。
さて、一本を取る柔道云々ですが、五輪のような場面で一本を取れる技がなければそれだけ勝つチャンスを減らすだけのことです。闇雲にポイントを取れば良いんだというのは間違っています。朽ち木倒しにしろ、双手刈りにしろ、簡単に掛かるものではありません。一本を取れる技があって始めてポイントが取れるものです。例えば寝技が弱いというのはサッカーで言うセットプレーを放棄しているようなものです。一本を狙えないとしたら、それはサッカーで言う流れ中で点を取る形がないものと同様です。
ただ、サッカーと柔道が違うのは柔道は多分に格闘技の要素が強く、ボクシング同様に、手数を出すことや動き回ることで、印象点(ボクシングの減点、柔道で言う反則)を狙えることにあります。ただし、最近は手数を狙うだけの露骨な技は掛け逃げを取られるシーンも目立ち始め、やはり一本を取れる技がなければ厳しいのが実情です。
また、ポイントを狙うような柔道(例で言えば金丸選手)をやっても日本人は勝てません。なぜか?ジュニアの時代から、足を最初から狙うような柔道は教えられていませんし、そもそもルールで規制されています。(講道館審判規定と国際審判規定とは違うんです)外国人のまねごとをしても中途半端になるだけですし、粘りや精神力だけで勝てるほど世界レベルの大会は甘くありません。実際に粘りが持ち味の女子の佐藤選手はあっさり負けましたし、金丸選手も相変わらず組めないまま負けました。
長くなってしまいましたが、まとめると、一本を狙うというのは間違っていないと思います。そのための技を磨くという方針も正しい。問題はそこからの「戦略」です。組ませてくれないならどうやって組むか、レスリングスタイルでくるならどう対応するのか、自分も取り入れるのか、どう情報収集して研究するか等々です。
例えると、組ませてくれない、というのはサッカーで言うディフェンスの寄せが早くなって現代サッカーではスペースが減少しているものと同様とお考えください。つまり、スペースがあるユルユルのJベースのサッカーが世界では通じないように、ゆっくり組んで一本を狙うようでは駄目ということです。
なお、レスリングスタイル(出自は旧ソ連系)については北京五輪後のルール改正で規制を始めるということが以前報じられました。あのスタイルは見てて面白いものではありませんし、テレビ受けを狙ってGSやカラー柔道着を導入したIJFの求めるものではないでしょう。やはりIJFも一本を狙い合う柔道が見たいのです。(だから一本を狙う井上や鈴木は欧州でも人気でした。古賀などは神扱いです)私の考えでは、ルール上でも日本古来のスタイルと海外のスタイルが混じり合う過渡期なのだと思います。ですから、その過渡期を過ぎたルールへの対応がこれから求められるのだと思います。
柔道の場合サッカーと違ってコア(伝統)は間違っていません。では、勝つためにどう組み立てていくかというロジスティックスやコーチングの問題です。そして、それを担える人材の問題です。サッカーと似ているのはむしろ野球ではないでしょうか。

柔道門外漢の私には、全てごもっともでございますとしか言えないわけですが(笑)、日本に長い歴史と成功体験がある柔道や野球と、歴史が浅くて未だ日本のスタイルというものが見出せていないサッカーとでは、若干立ち位置が違うような気がしますね。
前者は日本の伝統を世界の流れにどう合わせて行くかという部分に悩みがあるのでしょうが、サッカーではそもそもまだそういう悩みを持てる域にすら達していません。
こればかりは、協会トップからアマチュア世代が一掃され、世界を知った世代が若年層の隅々にまで指導者として行き渡るまでは難しいのかなと思いますが、そもそもその世代の旗手となるべき人物が旅やチャリティにしか興味が無いのだから暗澹たる気分は増すばかりですなあ(苦笑)。