今日の戯言

ま、日本の持病は決定力不足だけじゃないんですがね。
へらず口が大好きな偉いさんの口は閉じておいてもらわないといけませんが、飛行機の中でオシムの話を一晩中聞いた記者はいないんでしょうかね。もし自分だったらお金を払っても聞いてみたいのですが(笑)。
とにかくサウジがインドに勝って無事日本のアジアカップ出場が決まり、これでようやくオシムもやりたい事が出来るようになるでしょう。会見ではこれから若手を使っていくと語っていましたが、同時に選手を持ち上げては落とすマスコミ得意のスターマッチポンプに対しても釘を指す事は忘れていませんでしたね。
もっとも今回の試合内容のおかげで、待つ能力なんぞかけらも無いマスコミや某巨大掲示板ではオシム批判が既に溢れ返っているわけですが(苦笑)、それに関連してというわけじゃないですが、きつねさんからのメール。

代表戦に関する記事を中心に読ませて頂いています。特に自分が感じた印象と比べさせていただいています。自分にない視点を気づけるいい機会になっています。
僕は、監督(コーチ?)の具体的な仕事内容を知りませんし、また代表やクラブでの練習も見に行ったこともありません。なので、代表やクラブにおける監督の選手育成や試合結果に対する責任の範囲、そして各監督が理想としているサッカーを具体的には知りません。
そこで質問があります。監督の能力に対する評価はいったいどのようなパラメーターに基づくのでしょうか。また各パラメータの基準はどのように設定されているのでしょうか。いろんなサイトを見て思うのは、経験や実績といった極めて主観的で非客観的な指標に基づいて、基準も個人的な感覚で設定されている中で比較がなされているように感じられます(要するにあくまでも評価者の好き嫌いの問題に留まっていて、一般化するには至っていないレベル)。
こういった評価法に関する議論も取り扱っていただけると、僕としてはさらに勉強になって助かります。

私の考え方としては、ここでも何度か書いているとおり、想定された相手に対して勝利を収めるための処方箋があり、それをチーム内で実現させる能力があるというのが、監督に対する絶対条件ですね。
ただ日本の代表監督の場合は、常に世界の強豪と本気の試合が出来るわけではないし、アジアと世界のレベルも違うわけで、日本と世界の距離感を実感できる機会がなかなか無いという難しさがあります。従って、毎週戦う相手に勝てばいいJリーグとは、監督に問われる世界経験や実績のレベルが変わって来るのは当然だと言えます。
ジーコは処方箋など無いに等しい自然療法でしたが(笑)、トルシエはあえて激しい当たりを伴うプレスを選手の体に植え付け、そこから手数をかけない攻撃につなげるという、決定力が無くて足元のテクニックだけは優れている日本選手に対して、劇薬とも言える処方箋である程度の結果を残しました。
それに比べるとオシムの処方箋は漢方のようなもので、会見での発言を見ても、遠藤のようなセンスのある選手に足らない部分を自覚させ、それをクラブで発展させられるかどうかという部分について注意深く見ている感じがあります。これからもセンスのある若手を呼んでは、同じように観察を続けるのでしょう。今回は重用された古井戸組の遠藤や三都主、加地にしても、その過程で若手のほうが伸びていると判断されれば、代表から落ちる事もあり得るでしょう。
おそらく、オシムとて即効性のある処方箋は書こうと思えば書けるでしょうが、この2年間は選手層の厚みを増すという点でも、この方針で行くのは正しいと思っています。今はオシムの選考がとか試合内容がどうかではなく、代表候補に選ばれた選手がJでどう成長するのかを、オシムの目でじっくりと見て楽しむべきではないでしょうか。