今日の戯言

これが当たり前の視点ですよね。
さすが大住氏、私が今までここにグダグダ、長々と書き連ねてきた事を簡潔に分かりやすくまとめてくださって、本当にありがとうございますって感じですが(笑)、オシム就任から一ヶ月近くの月日が経って、ZAKZAKあたりの煽り記事以外には、今までマスコミからこういった視点での記事が全く出てこなかった事には今更ながらあきれるしかありません。
それどころか、以前にも書いたようにオシムとジーコが同じだというトンデモコラムが出て来たり、とにかくファンタジスタを入れろ、みたいな主張が出てきたりで、カピタン印のはんこを押したかのように相変わらずトルシエの「規律」とジーコの「自由」といった二元論に振り回されている有様ですから、もはや何かを期待するだけ無駄というところなんでしょうがね。
とにかく、個人の自由が保障されている民主主義社会に住む我々であっても、法律と道徳、マナーという義務を果たす必要があるように、サッカーでも自由を謳う前の「義務」という部分が存在するわけですよ。
オシムサッカーにおいては、機を見て後ろから攻めあがったり、どこにパスをするかという判断の自由はあるかもしれませんが、それ以前に上がった選手のカバーをしたり、ボールを持った選手が孤立しそうならフォローに行く、ボールを奪われたらチェイシングをするといった義務があるはずで、オシムが「この選手は義務を果たす姿勢が無い」と判断したら、その選手は自由どころか代表選手の資格を剥奪されてしまうでしょう。下手をすると、攻撃面は比較的自由にやらせていたにもかからわず、やたらとフラット3という義務の部分にスポットライトがあたってしまっていたトルシエよりも、義務に対するハードルはオシムのほうが厳しいんじゃないかと思うのです。
まあ、ジーコにも一応「キャバクラには行くな」と「アルゼンチンから大量失点するな」という義務はあったんでしょうが(笑)、基本的に選手のプレイに対する義務は無いも同然でしたからねえ。ジーコの自由をただありがたがっていたような選手は、たとえうまい選手であっても、オシムにとっていい選手にはならないでしょうね。

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